仰木監督について

私は小学校の頃から、一応近鉄ファンを名乗っていて、鈴木啓示の300勝記念切符(!)を持っていたりしますが、それはただ「近鉄沿線に住んでいる」といった程度でのファンでした。1986年のシーズン(岡本監督時代、優勝争いをしたが惜しくも破れる)のこともほとんど覚えていないし。その私を野球という物の面白さに目ざめさせてくれたのは、やはり1988年の「10.19」のシーズンなんですよ。
9月に入って5ゲームくらい離されても、友人との会話で「まだいけるよ」と言っていたら、本当にまだいける状態になっていくすごさ。そして、最後の名勝負(当然朝日放送で見ていました)。私の野球に対する興味は一気にまし、週刊ベースボールを毎号読む(中学生で金もないので立ち読みでしたが…)ようになりました。
それ以降の近鉄仰木監督時代も、89年にはブライアントの4連発を見せつつ優勝、他も90年を除き毎年優勝争いに絡み、確実に(9月までは)見せ場を作ってくれて、本当に没入出来るチームでした。余談ですが、私にとって野茂は、必ず9月の山場に崩れてくれる頼りないピッチャーというイメージが強く、「近鉄のエース」という世間のイメージとは、ちょっとギャップがあります。
仰木監督の(1年ブランク後の)オリックス移籍後は、それ以降の近鉄監督が鈴木、佐々木とへっぽこ監督が続いたこともあり、あまり近鉄に熱意を持てなくなった部分もありました。「鈴木退陣宣言」後28勝6敗の驚異のペースで勝ち上がった94年のシーズンまでは応援していましたが、結局そのシーズンオフに鈴木監督が辞めなかったこともあって、95年以降は実質オリックスファンに近い状態でした。「新100万ドルの外野陣(とは誰も言っていないが)」の田口、本西、イチローなど、オリックスでも魅力溢れるチームを作り、95年、96年と連覇。
後半は長期政権の弊害が出てしまっていましたが、監督としての力量を感じました。監督最終戦は会社休んで見に行ったくらいで。今年、合併球団の監督になったことには、仰木さんしかいない、という思いと、この戦力でやらせるのはかわいそう、という思いがありましたが、あの戦力でプレーオフ争い(8月くらいは3位を余裕で走っていた)をするのはさすがに驚異だったな。もう一人先発の柱がいれば、普通にプレーオフは進めて、第2ステージくらいまではいけたかも知れない(さすがにソフトバンクには勝てなかっただろうけど)。
とにかく、戦力薄のチームを率いる能力は凄まじい物がありました。きちんと2球団とも結果を出し、人気選手を演出し、大リーグ挑戦のパイオニアになった二人に慕われる。憧れを持つ、そんな監督でした。心から哀悼の意を表したいと思います。